北軽井沢とは?

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北軽井沢とは?

 軽井沢は長野県。
 北軽井沢は群馬県。

と書くと、北軽井沢とは、観光目当てに命名したインチキ軽井沢のことかと思う人がいるかもしれませんが、それはとんでもない誤解です。北軽井沢の地名は、戦前から有る古い地名であり、明治時代に田中貴金属の創設者である田中銀之助が別荘を建築したのがはじまりですから、軽井沢にA.C. ショーが別荘をかまえたのが明治20年頃であったことを考えると、わずか20年の差でしかありません。むしろ、南軽井沢(塩沢)や中軽井沢(沓掛)や新軽井沢の方が、よほどの新参者と言えます。

 ところで、軽井沢と北軽井沢の違いはと言いますと、軽井沢が宣教師と金持ちを中心に発展していったのに対して、北軽井沢は学者を中心に発展していったと言えます。

 まず、明治時代に田中貴金属の創設者である田中銀之助がダンスホール付の巨大別荘を建築したのがはじまりです。ちなみに田中銀之助は、日本におけるラクビーの父であり、1899年、慶応義塾大学の塾生に初めてラクビーを教えた人でもあります。もちろん北軽井沢にもラグビー場がつくられました。

 その後、大正時代に入りますと、日本中の政治家たちが北軽井沢を分譲して、北軽井沢を巨大別荘地帯にしました。大正12年には、東大の教授たちが『一匡村』という大学村をつくり、続いて法政大学も大学村をつくり、これが北軽井沢となるのです。つまり文化人が作った村なんですね。それだけに別荘族が多く、今でも夏になると、有名人著名人がひっそりと避暑に訪れます。地元の人も、外部から入ってきた人が多く、それだけに、排他的なところはありません。むしろウエルカムな人が多く、例えて言うならば、北海道の雰囲気があると言った方がよいと思います。

 北軽井沢はド田舎です。しかし、別荘族が多く、住人の大半が、最近になって都会から移住してくる人が多いために、人情は都会のものそのものです。決して閉鎖的なところではありませんし、田舎のもつローカルさも薄いです。しかし、移住してきた人たちの大半は、田舎暮らしに憧れている人たちばかりなので、変な意味での田舎っぽさはあります。つまり、田舎を満喫する、田舎を演じる都会人なんですね。